「男オタク」の憂鬱、みたいな独り言
昨日、仲良くしてくれている同性のオタク友達と話していてこんな話が出た。
「なんで、男のジャニオタってめちゃくちゃアレ扱いされるんだろうね」
もちろん、マイノリティである自覚はあります。
女性アイドルを推す女性、はそこまで言われる覚えがないのに、なぜ男性アイドルを推す男性に対しては風当たりが大きいんだろう。
もう好きである期間が人生のうち半分弱あるから、それが当たり前になってはいるんですけども。
なんでしょうね。男オタをやってるとだいたい一度はこう聞かれます。
「え?なんで好きなの?恋愛対象男なの?」
これを聞かれた時点で、とても重たい気持ちになります。うん。
もちろん、恋愛対象が男性だから応援するという人もいるはずです。好きの形は人それぞれ。
だけど、別に私は恋愛対象が男性な訳ではなくリスペクトや「推し」としての好きを持っているにすぎません。でもその感情は何かを応援したことがある人にしか分かってもらえなかったりします。(自分から見ても、完璧に否定できる材料もないなとは思うんですけどね)
そして、もし自分がそうだったとしてもここで全くデリカシーなくそれを聞かれた時点で完璧に心を閉ざす自信があります。そうじゃなくてもシャッターを閉じたくなってるんだから。
その概念を説明するのはめんどくさいし、理解してもらえるのかもわからないし。
だから自分からあんまり言えないんですよね。
仲が良い人だとかの前でしか曝け出せないし、リアルでは仲良い人しかいないとこでしかオタクであることを言えていない。
決め打ちは身内からの、何気ないちょっとした一言でした。
正直、器用じゃないので普通に恋愛してオタクやってってできないんですよね。
オタクであることは当たり前だけど、マイノリティであることを恥ずかしがる自分がいることに気づいたのがすごくしんどかった。
オタクをやっていて楽しいし、推したちにはたくさん助けてもらっているのに。
その一言で、今自分が何をやっているんだろうと思っても好きであることを否定したくないからタチが悪くて。
これアイドルを推すという中にもあると思うのよね、とか
— りーの (@SixT_rgjs) 2020年6月23日
もちろん自担を筆頭にアイドル大好きなんだけど、ジャニーズが好きな自分が好きか嫌いかと言ったら「好き」でいたいなと思うから。
マイノリティである男オタクとして、自分の「好き」を否定したくないな、とか思っちゃうから。
つまり、オタクであることが俺にとっては「アイデンティティ」だってことなんだけど。それを否定したら自分の好きな彼らをも否定するような気がするから、好きである自分も好きでいたい。
— りーの (@SixT_rgjs) 2020年6月23日
そう、オタクであることは俺にとっての「アイデンティティ」。だから否定されたことでひどくしんどかったんですよね。
簡単に切れてたら拗らせたりしてないしなんならここまでオタクやってるからこそ、最終的にはそれを恥ずかしいと思った自分が嫌いだと思うのです。
まず、自分が自分を認めてあげないといけない。
きっと性格的にマイノリティである以上恥ずかしいなと思うのはやめられないんだろうけど、オタクである自分を、まず自分が肯定してあげたい。
理解されないことって正直たくさんあるんですよ、慣れてるっちゃ慣れてる。
— りーの (@SixT_rgjs) 2020年6月23日
おかしいみたいなレッテルを貼られたとしても、分かってもらえなくても「好きに正直でいる」ために「好き」だと思った自分も好きでいる、つもり。
オタクをやることで出会えた人たちがいるからこう思えるな
ネット媒体があってよかった。顔がわからない分、その恥ずかしさを軽減して「一オタク」として生きていけてる気がするから。
さまざまな多様性が叫ばれる世の中だからこそどんな人でも自分らしく生きられる他人の好きに優しい世界であってほしいし、自分がマイノリティなオタクだからそれを意識して生きていきたいな、なんて。
そんなことを思いながら、結局今日も俺はオタクなのだ。それでいいんだ、きっと。
なーんてね。