僕らのPleasure

男ジャニオタの徒然、愛を語る。

「さよならエレジー」と「トドメの接吻」②

 

お久しぶりです。Huluでドメキス見直しすぎて旺太郎くんロスを埋めて埋めてJUMPの動きがないのも埋めようとしているりーのりあんと申します。

また間が空いてしまいましたが1番(「さよならエレジー」と「トドメの接吻」① - 僕らのPleasure)に続いてさよならエレジーの2番歌詞を解釈して行きたいと思います。

 

 MVについても解釈したいところなんですが1番の時にやり忘れてたのが痛いです。この記事の最後に軽くつけておくことにします。

 

 

 「やさしさが濁った日々の 憂鬱は満員電車みたいだ」

 

未だにしっくり行く解釈ができない2番Aメロ。満員電車みたいって言うと圧迫感があって、苦しいという状態を思い浮かべますが「やさしさが濁った」という状態とはどのようなことなのだろうとぐるぐる回る不思議な部分です。

 

ということで登場人物たちの共通項を少し探して見たいと思います。

それはこのドラマの登場人物はみな、ある程度の闇を抱えているということ。順風満帆に歩んできた、そう見える人でも多くの闇を抱えている。

 

大人になるにつれて、世の中を知り闇を抱えることによって、もともと自分たちを包み込んでいた「やさしさ」が濁っていきそれによって圧迫感を感じたのかなあ、と思ったり。

 

旺太郎や宰子、尊氏の場合は海難事故をきっかけに、当たり前の「やさしさ」が奪われて人生が狂っていきました。他にもキャバ嬢のバイトをしていた真凛、旺太郎が放った優しく見える言葉を信じ込んでしまった和馬。

 

共通項でくくるとこんな解釈が個人的には出てきます。

 

 

では続いてBメロとサビを。

 

 

  「冷めたぬくもりを むやみに放り投げた」

   「僕が愛を信じても きっといなくなるんだろ? それならいらない 哀しすぎるから」

   「さようならさえも 上手く言えなそうだから 手を振る代わりに抱きしめてみたよ」

 

曲の中でこの部分とここの次の部分の歌詞が1番好きってくらいにはエモいなぁと感じる部分です。

「冷めたぬくもり」はもちろん愛情。「愛なんて捨てた」と言ってしまう旺太郎くんを端的に表した部分と言えると思います。

 

でそこからのこのサビ。いや泣くでしょこんなん。

愛があって、お父さんのことを信じていたからこそ弟の光太を連れてクルーズ船に乗り込んだ旺太郎。事故で弟を失い、家族は壊れてしまった故に愛が信じられない。

 

「成り上がるためならなんだってしてやる」 

「愛なんて信じるから不幸になるんだよ」

 

道具として偽りの愛を振りまくのも結局は愛を信じられないからだ、というのがわかる部分です。事故によって深すぎる悲しみを背負った旺太郎は二度とこんな思いをしないよう自己防衛としてこんなスタンスを持っていて。

 

でも宰子と出会ってしまうわけです。もちろんこんなスタンスを持っている旺太郎ですから、宰子が9話のラストで尊氏に刺されて亡くなってしまったとき涙が止まらない自分を認められずにいました。そこでキーパーソンとして登場したのが和馬くんでしたね。

そこで彼は自分の正直な気持ちに気づくわけです。愛する人を失う深い悲しみを再び味わった彼を思うとまた胸が苦しくなるような切ない歌詞だと思います。

 

「さようならさえも 上手く言えなそうだから」

 

最初上と矛盾しない??とか思ってましたけどドラマ最後で全てスパッと解決しました。愛してることも伝えられず、別れなければならない旺太郎と宰子。最後の旺太郎はちゃんと宰子に別れを告げていますが、尊氏に宰子が刺されてしまった際はさようならさえも言えずに宰子があの世へと旅立ってしまっています。

 

そこで旺太郎は彼女の遺体を抱いて泣き続けたわけです。このシーンまでの旺太郎くんを表した歌詞かなと思います。そこで学んだことによって最後に繋がるというのもまた泣ける。

 

  「流れ星を見た 流れ星を見た 願う僕の歌」

流れ星って言えばもちろん「願い事」をするもの。ではここで流れ星に願ったことってなんでしょうか。

やっぱり他の人物でもぴったり来ないわけではないんですけど2番はやはり旺太郎と宰子の曲なんだなって感じるなあ、ということを前提に願い事の内容を考えてみたいと思います。

 

 

やはり9話の内容を鑑みるに「宰子にもう一度会いたい」という願いだったりするのかなあ、と。全体的な内容を鑑みると「愛を信じられるようになりたい」という口に出さない願いなのかなあ、と。

 

流れ星が流れる間に3回願い事を言えればその願いは叶う、なんて言いますがこれは2回。そうなると叶わない願いというものもあるのかな、とも考えられますが、あくまで願いの強調とも捉えられます。

 

「宰子にもう一度会いたい」と言うのは9話の世界では叶うことがない願いな訳ですし、叶わない願いの暗示というのも割としっくりくるのではないでしようか。

 

 

  「側にいるだけで 本当幸せだったな 側にいるだけで ただそれだけでさ」

 

気持ちに素直になった旺太郎くんの本心が溢れ出ていてエモい。単純にエモい。やばい。 

愛なんかいらないとか言ってた奴がちゃんとこんなこと言い始めたらギャップで死ぬ。うん。

 

ここは普通に尊氏目線の美尊、でもいけそうだなあとも思います。

 

そして続いて1番サビの繰り返しへ。

 

「さみしさのカタチは変わらないみたいだ」

「うんざりするほど光れ 君の歌」

 

自分が選んだとは言え、結局旺太郎は1人になってしまうわけでさみしさが残る。

旺太郎から見て光って欲しいのは宰子だけではなく人生を狂わせてしまった全員なのかな、なんて思ったり。1番サビの残りの解釈は前の記事に記してありますのでそちらをどうぞ。

 

「もう傷つかない もう傷つけない 光れ君の歌」

 

もう傷つかない、傷つけない。これはタイムリープ後の旺太郎の決意な訳です。残り一度きりの人生を思いっきり生きる、まず宰子のこと、そしてみんなのことを傷つけない。タイムリープが与えてくれた唯一の教訓を生かして生きていく旺太郎の明るい未来を暗示する、というこの曲の中では珍しい明るいニュアンスです。

 

 

最後にMVについて。

私はMVを見たときこんな感想を持ちました。

「これ旺太郎と春海だよね」

と。

 

もちろん元々ドラマの中でもこんな感じに春海が歌を聞かせるというシーンは多くあったものの、MVでの賢人くんの表情はどこか張り詰めていたなと感じます。だからこそ何を描いたのだろうと考えていました。この答えもやっぱり最後を見ることによってなんとなく自己解決したような気がします。

 

基本はドラマのように旺太郎の変化を描いているのだと思いますが、最後にある屋上で手を広げる旺太郎のシーンがちょっと不可解かなあ。

 

その後春海がいる暗い場所に移って2人が見つめ合うと言う展開なので私はここ自殺した??とか思ってしまったんですけども。(爆)

全体的なメッセージに合わせて前に進む、と言う演出の一つなんだとは思いますがここだけはよくわからないなあと。ここの解釈こんなんどう?みたいなのある方いたら語りましょう(爆)

 

とりあえず2ヶ月弱かかりましたが「さよならエレジー」の解釈をしてみました。文章ぐちゃぐちゃの駄文を綴り続けていて読みづらさ極まってるのはわかってますが、「トドメの接吻」と言う作品は本当に面白かったです。山﨑賢人くんという人をもっと知りたくなったし応援したくなった。素敵なきっかけを与えてくれたドラマでした。

このドラマも、主題歌も。長く愛されるものになりますように。