僕らのPleasure

男ジャニオタの徒然、愛を語る。

「さよならエレジー」と「トドメの接吻」①

 

みなさん、こんにちは。

 

JUMP担ですが山﨑賢人くんも大好きなチョロオタとして今期のドラマ『トドメの接吻』は毎週の楽しみだったりしました。

 

最終話の放送が終わった今、個人的にこのドラマの主題歌である菅田将暉くんの「さよならエレジー」の解釈をしていこうと思います。

 まず、個人的な総評としてはですが、ドラマの企画に合わせ書き上げられている分、やはりマッチしている、かつ主人公以外にも重ねられるか歌詞になっているところが個人的には好みだったり。

 

  「僕は今 無口な空に吐き出した 孤独という名の雲」

「その雲が雨を降らせて 虹が出る どうせ掴めないのに」

 

まず主人公の旺太郎目線で見ていきます。一人称が「僕」と言うのは旺太郎のことかな?と思わせるポイントの一つではありますし、「孤独」は彼の中に海難事故によって生じたものと言うのは言うまでもないことです。一般的な解釈ですかね。

 

「雲が雨を降らせて 虹が出る」、ってところ意味深ですよね。10話(パラレル含む)を見て、少しここの部分に納得がいったような気がしています。

 「虹」は明るく素敵なもの。旺太郎にとって、掴みたくても掴めない明るいものの存在の暗示なのかなあ、と私はちょっと思ったり。

 

そしてここの歌詞を他の人物視点で見ると尊氏目線もしっくり来るな、と感じます。

 

海難事故の日に知った、「養子だから会社を継ぐことができず、実子の美尊よりも家族に愛されていない」と言う真実。この真実がまだ幼かった尊氏に与えたものは深すぎる「孤独」と父との「約束」だったわけで…。

尊氏にとっての「雨」は心を縛る父との約束、そこから現れる「虹」こそ美尊と美尊への恋心なのかなあ、とも感じられてなんとも切ない歌い出しです。

 

 

  「はじめてのキスを 繰り返して欲しくて」

 

サビ前Bメロです。「はじめてのキス」ってどのキスなんでしょうか。そしてここはどうなんだろうな、ドラマ主題歌と言うのが意識された雰囲気によるものなのかな、と思ってました。最初は。

 

 

トドメの接吻最終話を見たことで、この歌詞もすっと入ってきたように思います。

最終話で宰子を失い「愛」の大切さと自分のした事の重大さに気づいた旺太郎。宰子や美尊はもちろん、尊氏や布袋、長谷部と言った、彼に関わり人生が狂ってしまった人たちの「幸せ」のためにタイムリープをして宰子を救っていったのは皆さんもご覧の通りなはずです。

春海とキスした旺太郎が戻ったのは乗馬クラブのパーティーの日。この頃まだ旺太郎は宰子のことを「自分を狙うキス女」だと思っていましたね。

 

宰子と知り合い、過ごした3ヶ月。最終的には旺太郎を守るために命を落としてしまい、人生が狂ってしまった。その発端は和馬に殺されそうになっていた自分をキスで助けようとしたこと。

 

3ヶ月前に戻った後の「宰子に新しい人生を歩んでもらいたい、でも宰子を思う気持ちはなくならない」という旺太郎の心情に重なるようなまたも切ないイメージかな、と個人的には感じます。

 

 

  「愛が僕に噛み付いて 離さないと言うけれど さみしさのカタチは 変わらないみたいだ」

  「舞い上がって行け いつか夜の向こう側 うんざりするほど 光れ君の歌」

 

1番サビです。ここはやはり男主人公、旺太郎と尊氏の想いに重なるのかなあ、と。

ここで印象的なフレーズと言うと「さみしさのカタチ」。この2人にとっての「さみしさ」って何?って考えてみるとある程度解釈ができるかな、と思ったので以下に綴ってみます。

 

まずは旺太郎くん目線。旺太郎目線だと「家族」と「宰子」の2パターンの解釈が妥当なのかなあ、と思います。

 

「家族」に関わるエピソードは物語の随所で登場していますし、この話の根底にある海難事故によって堂島家はバラバラになったわけです。

旺太郎は「過去は捨てた」と言い放って成り上がることだけを目的とするクズ、と言うのが最初の設定でした。しかし5話で旺太郎はテープを手に入れましたが、光代を不慮の事故で亡くすと言う展開となり、母の命とテープのどちらを選択するかが迫られます。

 

公式設定の通りならばここは「テープ」を選ぶでしょうが、宰子の言葉により旺太郎は結局母の命を救うことを選択しました。

 

ここで言う「愛」は家族愛。過去の悲しい事件によって失われたように見えても、中にはまだしっかりとその思いがあり、いざという時には表に出てくる、というイメージが浮かびます。

ここでの「さみしさ」とは家族と離れ離れになっていることによる押し殺してきた「寂しさ」。「愛」があっても今はひとりでいるためにその形は変わっていない、と言えるかなと。

 

 サビ後半は「舞い上がる」や「夜の向こう側」という明るさを感じさせる歌詞が多く登場します。よって、この家族愛を取り戻すことでそれぞれが光り、輝くように、という未来への願いが現れているように感じます。

 

 次に「宰子」を軸にして見ていきます。これは10話の後、結末部分での旺太郎に重なるとしっくり来るかな、と。宰子の幸せを願い自分から宰子の元を去る旺太郎、しかし旺太郎の宰子への愛は旺太郎の心を離さず、さらに宰子の心も離さない*1訳で。

 

ここでの「さみしさ」は旺太郎の思いが宰子に伝わらない*2と言うことに加え、いきなり宰子の前に現れて宰子に提言をした旺太郎という存在の不思議さ、そして何故かわからないけど感じる「記憶」の面影を総称した気持ちが現れているのではないでしょうか。

 

ここでの「舞い上がって行け」以降の解釈はどうすべきかな、と思ったんですけどやはり明るい解釈がぴったりでちょうどドラマの結末にも適するかな、と思います。

 

今まで「キス」をすると人が死んでしまう、と言うことから人目を避けて生きてきた宰子の暮らし方を「夜」と表現し、いつかそれを乗り越え煌びやかに光り、宰子が素敵な人生を送ってほしいという旺太郎の願いの現れと私は考えます。

 

最後に尊氏目線でここの歌詞を解釈して①の記事のシメとしたいと思います。

 

もちろん尊氏にとっての「愛」は美尊への愛。

 この愛は尊氏の行動全ての原動力となっていて、文字通り彼を「離さない」想いになっています。「さみしさ」ももちろん父との「約束」により報われることのない美尊への想い、へのものに加え上の方で解釈した「養子であるために愛されていない」と言う真実によるものも合わさっていてまた哀しさが出て来ているシーンだなあ、と感じます。

 

後半に関しては今までしてきた解釈を全て美尊に置き換えて行けばある程度しっくりくるかなあ、と。

 

 

美尊にとっての「夜」とは何なのでしょう。ここがなかなかに大きな謎でした。これも10話を見てある程度個人的には決着をつけられたように思っています。10話で旺太郎に真実の告白を受けた美尊は旺太郎の決断を受け入れ「周りの人を幸せにしてあげて」と告げました。ここでは旺太郎の気持ちは宰子に向いており、美尊は1番に愛されていた訳ではありません。尊氏はいつも美尊が1番。そんな彼の視点から見るのであれば「夜」というのは愛がないのに旺太郎に弄ばれていた、という状態のことを指すと考えるとしっくりくるような気がします。

 

 最後の部分は、いつかそんな状態を乗り越え(できれば自分とともに)、さらにもっと美尊に輝いてほしい、という尊氏の想いという解釈でいいのかな、と思っています。

 

 

 

 

1番だけでこんなに書くとは思ってませんでした。放送終了後から1週間。なる早で2番も書こうと思いますのでよろしければお付き合いを。解釈するはいいけど文末をどうすればいいのかわからなくなってグッダグダなのは筆者の国語力がないだけです…

 

駄文を失礼いたしました。

*1:トドメのパラレル10話を参照のこと。

*2:3ヶ月前に記憶が戻っているので旺太郎との記憶がないままパラレルの展開を迎える